窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

コンプレックス

 「嫌だと思ったら、もう我慢しないことにした。」と、美容師のTさんが言う。「大人なんだから、ちゃんとガマンしなくちゃいけない。って思ってやってたけれど病気になっちゃうもの」と。
 そう。私もそれでこれまで突難にもなったし、何度か体調を崩した。それでも、やはり自分は社会的にある部分落後者だという負い目があったりするので、我慢しなくてはだめだ。と思ってしまったりする。ただ、それは我慢だと思うからいけないのであって、どこかで抜いたりすれば問題はないのだろうと思う。しかし、だいたいにおいて、最初に微かに感じた予感みたいなものは、後になって「ああ、やっぱりだめだったか」ということの方が多い。しかし、それは事実ではなくて私個人の単なる感想みたいなものが、最終的に収まりきれずに膨らんで出てきてしまうことによって、環境が悪化するということも考えられる。仕事においても対人関係においても同様に。だからこれは「勘」なんかじゃなくて、気持ちの持ちようなんだ。と思って進んでいっても、結果的には「ああやっぱりだめだったか」ということになってしまうので、もう少し自分を信じるべきなのかもしれないが、そこにやはり自分は社会的に見たら・・・というようなコンプレックスが働いて、ちゃんとしなくてはいけない。と思ってしまう。
 しかし、端から見たら我が侭に好きなことだけやっているようにみえるらしい。確かに、結局のところ「好きか嫌いか」を選択基準にして歩いてきたわけだけれど、それがなぜそうなのかというと、上述のように身体を壊すからだった。そういうふうに自分を省みると、なんだかヘナチョコで情けない。