窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

KT

ぬるぬるとした日が続いていたと思っていたのはつい最近のことで、近ごろはすっかり初夏の陽気だ。この1週間で、庭の草木は枯れていなかったことを証明するように、新芽を出し始めた。それと同時にお約束のアブラムシもエルダーのツボミの脇に沢山ついているのだけれど、それはここ数年テントウムシの幼虫にまかせている。
去年の球根の割には咲いたチューリップもすでにだらしなく開いて伸び切っている。だらしない。と、思うのは私の勝手で、チューリップのせいではないが「だから桜は好きなんだ。」と私は思う。先日咲き始めたときには、嬉しく眺めていたのに。パンジーにしても(植えていないけれど)あの、ヒゲオヤジのような顔がどうにも馴染めない。顔の真ん中にバッテンが描かれているような花ではないか。等と思う人はそう多くはないわけで、他からはそんな話を聞いたことはない。ご近所さんも駅の花壇もパンジーだらけである。それで私は佐野さんに力説したら、彼女もパンジーを見るたびにそのように見えるようになってしまったらしい。何だか申し訳ないような気持ちがする。パンジーに対しても。

KTを見た。私は佐藤浩市が割と好きである。KTには原田芳雄筒井道隆も出演していて嬉しい。しかし、内容は最初から最後まで重い。
セリフの半分は韓国語で韓国の俳優も何人も出ているが、やはり日本の映画というかんじ。私はそう多くの韓国映画を見たわけではないし、見たものも有名なものばかりだから何とも言えないけれど、それらの韓国映画は、内容は悲しいものばかりだったがカット一つ一つがとても美しかった。時折あざといと感じるところもあるにはあるが、感心しながら見たものだった。KTには、そういう美しさはないように思う。全体に鉛のような重さを感じる。現実の事件を下敷きにしているからなのかもしれないが。私としてはラストはかなり好きだった。それにしても、佐藤浩市はなで肩だ。