窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

「お前の文章は面白いって。」と、M亮からメールが来た。彼の編集者友達との会話の中でのことらしい。「面白い」というのは、嬉しい気持ちの中にも少し複雑なものがある。どちらかと言うと「素敵な文章ですね。」と言われたほうが嬉しいかもしれない。(なんちゃって)
「K氏は『特に貧乏話が面白い』って。」と、M亮のメールは続いていた。「び・・」これは更に複雑である。なぜなら、これは過去完了ではなくて、現在進行形だからである。
その後、家に立ち寄ったM亮が「何処を読んでそう思うんだろうなあ。俺は別にわかんなかったけど。」と言う。「多分テレビが無かったりクーラーを直さなかったりするところでそう思われてんじゃないの?」と。
しかし彼は私に大金が転がり込んだとしても、クーラーは買わないだろうしテレビも見ないだろうということを知っている。今私に必要なものというのは、なんだろうか・・・・。ダイエットを続ける意志の強さだろうか。と、半年で10キロ痩せたと自慢するM亮を見ながら私は思うのだった。


ま、それはそれとして。
青山ブックセンターが再開店して1年が経った。「1年経ちました。」と金子氏から(いきなり実名だけど)お礼のメールが届いた。私個人としては今年も雑誌の原画展などでABCにはお世話になったし、お礼を言いたいのはこちらの方である。
このブログを読んでいる人の中にも、ABCの再建願いの署名をしたという人が何人もいると思う。金子氏の素早い対応がなければ、もしかしたら今ごろABCは無かったかもしれない。あの時私が署名を頼んだ人の中には、業界人でもクールな反応もあったりした。だからって、何にもしなくていいのか?というのが、私の想いだった。だからよけいにABCが再建されたことを知ったときには、嬉しかった。
私などは、そんなふうにメールで署名を頼んだだけだったけれど、金子氏自身はその後も色々と大変だったのだということは、人づてに聞いていた。それでなくても編集者というのは過酷な仕事なのに。しかし、最近は「飲む暇もないくらい・・・。」というわけではないようで、今度の連協のライブでお会いするのが楽しみなのだった。


今日は日曜日。朝、近所の公園を通ったら、新たなカルガモのつがいが泳いでいた。この季節になると初老の男女がリュックを背負い、公園内の数箇所に固まっている。おそらく市報で募集していた「○○の道自然観察会」とか「武蔵野歴史探訪」などというような団体である。皆、帽子を被ってしっかりとした靴を履き、日よけの手袋などをはめている。けっこう重装備だ。狭い橋の真ん中にその一群がいて、私は間を縫って歩いてく。Tシャツで買い物カゴを下げてプラプラ歩いている私は、重装備の彼らや彼女達には奇異に映るらしく、皆が怪訝そうに横目で見る。
ガイドさんは池の向こうの山を指さして、なにやら一生懸命話をしている。周りを囲んでいるオバサン達の半分は聞いていない。ちょうど橋の下からカルガモがつつーと泳いで出てきた。「あら、鴨があんなふうにっ!!。じょーずに泳いでいるわっ!ねぇえええええ」と、隣の人達に同意を求めていたりして。そう言えば、去年もこのような光景を見たような覚えがある。ガイドさんは毎年ご苦労なことである。