窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

雨は絹の糸

また『夏休み子供科学電話相談』の話ですけれど、先日の質問に『雨は粒なのにどうして降っている時に線のように見えるのか』というのがあって、回答者の先生は、どうやら「それは眼の錯覚」と言いたいようだった。実際に雨がそんなふうに見えるのではなくて雨の気配とか水溜りに落ちている様子とか、音で雨が降っているのを判断するのであって、見るのは難しいのだ。と言う答えに終始していた気がする。質問者の子供は「わかったかな?」という村上アナの問いかけに「腑に落ちんぜ!」とは言わず(女の子だったし)おとなしく「ハイ。ありがとうございました。」と言ってその質問は終わった。
「腑に落ちん!」と思ったのは私だけだったようだ。見えるじゃん、雨。線みたいに。だから広重だって雨をあんなふうに描いているんじゃん!と私は思った。でももしかしてそれって普通の人には見えないのか?と、一瞬思ったけれどもイヤイヤそんなことはない。昔、あのフォークルだって「雨は絹の糸でした〜白い白い絹の糸〜」と歌っていたもの。そんな歌を知っている人は殆どいないと思うけれど。(多分『雨』という歌だったように思うけれど。当時の作詞はたいてい北山修だった。)

小学校1年のときのこと。私たちは校庭に放たれて「見てきたものをノートに書いて発表しましょう」と言われた。天気は良くて風が強かった。少しの雲が風に吹かれて太陽を隠してまた流れていった。私は「お日様が出たり曇ったりして明るくなったり暗くなったりした。」というようなことを書いて先生に告げたら「嘘を言ってはいけません。こんな短い時間でそんなふうに天気がかわるわけはありませんね。」と、言われたのだった。「腑に落ちん」とは小学生の私は思わなかったけれど、まあそういうような思いだった。何十年も経ってもまだしつこく覚えているのだから、結構悔しかったのだろうと思う。

子供電話相談を聞いていて、そんなことを思い出してしまった。電話相談で質問した子はどうだろうか。私が遠く離れた場所で「見えるじゃんか。」と言っていたってせんないことだけれど。