窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

散歩する猫

 夕方、コーヒー豆を買いに行こうと外へ出た。駅への道を歩き始めると、むこうから老人がゆっくりと歩いてくる。1度みかけたことがあった人なので、近所に住んでいるのだろう。老人はゆっくりと、そうして何度も立ち止まって振り返っている。近づいていくと老人が立ち止まって待っているのは、猫であった。越してきた当初の夏の夜、近所の路上で涼んでいた真ん中分けの黒髪がかなり後ろにずれているような模様の子だ。座っているところしか見ていなかったのでもっと若い猫かと思っていたのだけれど、どうやらけっこうな歳のようだ。公家顔のその子は白黒ブチの太めの身体をポタポタと揺らしながら、歩いてくる。猫を見ると声をかけたくなる私だが、あまりに一生懸命な様子なので、その気持ちを削いでもいけないと思い横目で見ながら通り過ぎた。少し行って振り返ると、のんびり歩く老人の後ろ姿に着いて歩いていく猫の影が見えた。
 あんなふうに猫と一緒に散歩が出来たらいいのにと思う。子猫の頃は家の猫も外に出ていた。私が毎朝仕事に行く時には鳴きながら途中まで着いてきたので、振り払うのが大変だった。その頃住んでいた家の周りはけっこう車も多かったのだが、猫は道に沿った家々のブロック塀の上を恐ろしいスピードで走って追いかけてきた。追ってくるのは塀が途切れるところまでで、そこに座って私の姿が見えなくなるまで大声で鳴いていた。外に出ていたころは、家の前で呼んだりすると何処からともなく現われて一緒に遊んだりしたのだけれど、大病をしてからは外出禁止にしたので、たまに逃亡しても捕まると思うのか、外へ出た私には近寄ってこない。越してからは未だ逃亡はしていないが、勿論外には興味があるようだ。しかし、興味がある様子をあからさまにはしない。それが彼女の手なのである。