窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

ささめやさんの講演を聴きに、大宮ジュンク堂へ。

その場で求めたのは「レッスン」本の作りが素敵で魅かれたのだけれど、帰ってから読んだら感動。ささめやさんの絵にもだけれど、内容も。先入観を持たずに読んだほうがいいと思うので、ここでは内容はあきらかにはしませんが。ささめやさんの絵も、これまでのタッチとは少し異なり線画と薄い色合いで、それがこの本の内容にとてもあっていて、読み終えるとサラサラとした気分になる。一応子供向きの体裁ではあるけれど、大人も読める絵本でした。

講演が終わってから、ささめやさんと書店の方とブックコーディネーターの方と飲んだ。このコーディネーターの方がすごい。彼女が書店で並べる本は必ず売れるのだという。本のコーディネーターという仕事があるとは知らなかったが、それもそのはず、彼女だけらしい。

 私は泉麻人の言う所謂池袋信仰が強かったと自覚している。池袋に行けば何でも揃うと思っていて、買い物はめったに他の場所にはいかなかった。高校以降は池袋信仰も薄れていたけれど、それでも新刊の書店は西武デパートの中の書店か、西口の芳林堂と決めていた。紀伊国屋に立ちよって見つからなかった本でも、帰りがけに西武のどこどこの棚なら必ずあるだろう。と思って行くとちゃんとあったりして、「クーッ、さすがだねえ。」なあんて思ったもんだった。(へんですかね)

当時の西武の書店リブロの棚は、私が求める本の並び方だった。どこがどうとは美味く言えないのだけれど、私の思考回路にはまっていたのだと思う。当時はまだ美術館もあって美術書の洋書も豊富だった。高価だったので書名だけをチェックして、神田で買うことも多かったけれど。美術館がなくなりリブロは改装されて、私が欲しい本はあちこちのフロアに散在してしまった。それらを買うためには、テクテク歩いてエスカレーターに乗り、また欲しい本を思いだすと、エスカレーターを降りて・・・ということになってしまう。しかも、エスカレーターに乗って行った売り場に、置いていなかったということも多い。以前は、書店に入った途端にテンションがあがって、あれもこれもと浮かされたように買いこんでいた私だけれど、そういうことも少なくなってしまった。

今、私は本をネットで買うことが多い。欲しい本はすぐ見つかるし届けてもらえるからラクではある。でも、全く知らなかった本と出会うことは少ないように思う。インターネットの膨大な情報よりも、書店に行って実際買おうと思っていた本の横に置いてある本を何気なく買って、それがまたよかった。というような、本との出会いが減っているというのは、自分でも危機感を感じるのだ。書店だって危機感を感じて欲しい。大手の同じ新刊本が、どこの売り場に行っても平積みになっているのにも慣れてきたけれども・・。

レッスン