窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

池袋の歩き方

他の地域の人たちと知りあって初めて気づいたのだが、池袋を好きだという人は殆どいない。怖いと言う人も多い。確かに、昔から安全とはいえない場所だった。一時は、新宿よりも恐ろしいと言われ、テレビで特番などをやっていた。地元の子供達でも近づいてはいけないと言われているエリアもあったが、高校時代に仲が良かった友人の家は、そのエリアを通らねば行かれない場所だったし、私はその辺りの眼科にも通っていた。
まだ、西武デパートの中に美術館があった頃。予備校の友人達とクリムトの展覧会を観に行ったことがある。
私がデパートの入り口に着いて後ろを振り向くと、一緒に来た友人が誰もいない。よくよく見ると、雑踏の中で彼等は右往左往していた。私が大声で彼等を呼ぶと、ああー。と、安心した表情になり、私の前に立ったときには皆汗を拭きながら口々に、「なんて歩きにくいところなんだ。」と、不平を言った。

その後も、たいていの人が、池袋は歩きにくいと言う。確かに駅の前は人が溢れている。だがそれは渋谷も新宿もたいして変わりはないように思う。人から言われて理由を考えてみた。動線が目茶苦茶だからなのか、歩いている人たちの種類が老若男女色々で、歩く速度も違うからだろうか。私は自分が池袋を歩くときのことを思い浮かべた。なぜ私はさほど苦もなく歩けるのか。

私が池袋を急いで歩くときは、目的地の方向は見ていないのだ。勿論その場所へ通じる道を歩いているわけだけれど、まっすぐそちらを見ているわけではない。何処を見ているかというと、前を歩いている人々のすき間。バスケットボールのコートの中にいるように、そのすき間をにらんでいる。自分のすぐ前だけではなく、その前の前までのすき間もチェックしながら、またそのすき間を対向して歩いてくる人がいないかということにも、気を配リながら進んでいくのだ。これはもう自然に身に付いたものと言える。

勿論、そんな歩きかたは1人でいるときしかできない。だから、人と歩いているときは、私もちゃんと歩けず、「池袋って歩きにくいよなあ。」と、言う言葉に曖昧に頷くしかない。だいたい、池袋などという町は、ぶらぶらと歩くようなところではないのだ。トットと歩いて建物の中でくつろぐ町なのである。くつろぐ場所の私のお気に入りは、三越の横の「皇琲亭」とリブロの地下の喫茶スペースだ。昔は古い喫茶店が東口にはいくつかあったけれど、ずいぶん変わってしまった。