窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

手術

「みち」は一軒向こうの家の庭先にいて、アーニャは他の元気な3匹とわけてミルクをやったりしていたのだけれど、やはり死んでしまったようで姿を見せなくなった。

残った3匹は元気が有り余っていて、アーニャも辟易としている様子が見える。毎日一軒向こうの家からもらってくるパン、ちくわ、鰹のたたき、他も、仔猫達は時にはアッと言うまにたいらげ時には転がして遊ぶだけになり、その度に私は軒下の残骸を堆肥用の場所に埋めるのだった。

餡パンの残骸が落ちていたときには、さすがにもう少し考えてやって欲しいと思ったけれど、そのうちあまり変なものをくわえてくることも少なくなった。


雄猫がうろつき始め、アーニャも時折「るるる」等と言っているものだから、去年骨折仔猫やギイヤンの時にお世話になった病院へ避妊手術のために連れて行った。
アーニャも私にはおとなしいが、昨年のギイヤンのように変貌して先生に襲いかかったらどうしようかと思ったけれど、翌日迎えに行ったら、まあまあそこそこ。と言う感じだった。
私の家の猫は、顔は怖いしよく鳴くけれど、病院へ連れて行くと「いい子だねえ。」と言われる。去年の骨折した子も、病院ではいい子だと何度も言われた。私が最初に飼ったキャベツもおとなしかったから、猫はたいていそんなものだと思っていたのだけれど、ギイヤンみたいに豹変する子もいることを知り、その妹のアーニャだし少し心配したのだった。


行きのバスでも帰りの電車でも鳴き通しだった。
ホームで電車を待っていたら、老夫婦が近寄ってきておばあさんが「あら、かわいい運ぶカゴがあるのね。今はこんなにいいのがあるのねえ。」と、私とおじいさんの顔を交互に見ながら言った。おじいさんは口の中で「ふむふが」と何か言っていたけれど、そのうち電車が来て乗り込んだ。


電車の中でもアーニャが壊れたクラリネットのように「マー、ファー、アー」と一本調子で鳴き続けていると、そばに座ったおじいさんが「あの猫はずっと同じ声で鳴いているが、同じことをいっているのだろうか。」と、つり革につかまっているおばあさんに話しかけた。おばあさんは、聞いていたのか聞こえなかったのか、他の話をし始めた。おじいさんはしばらく黙っていたけれど、また「あの猫はずっと同じ声で鳴いているが、同じことを言っているのだろうか。」と、おばあさんに聞いた。おばあさんは何も答えず、少ししてまた他の話をし始めた。



そんなことを繰り返しているうちに駅についた。