窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

Yちゃんに頼まれた蛸の絵がまだ描けない。夏の間机に向かってスケッチをした。「今、クーラーの無い部屋で蛸を描いている人間が、この世の中に何人いるんだろうか。」なんて思いながら。
幾度か台風が来てずいぶん涼しくなった。暑さ対策で軒下に垂らしていたバリ土産の布も畳んだ。猫がまとわりついてくる時間も多くなった。
今日も早めに夕食を済ませて、メールをチェックして、机に向かった。ハービー・ハンコックの「処女航海」を聴きながら、私は蛸を描いている。エスキースが机の上に散乱している。どの蛸も皆やるせない目をしている。いったい秋の夜更けにハービー・ハンコックの「処女航海」を聴きながら、蛸を描いている絵描きが世の中にどれだけいるのだろうと、思いながら。

処女航海

処女航海


このアルバムのドラマーは、トニー・ウイリアムスだ。
20年程前、私はYちゃんやKちゃん達とバイクでジャズフェスに行った。場所は八ケ岳近く。出演したのは日本人のプレイヤーとそのジャズフェスを開催している村のジャズ愛好家達で、ステージも芝生からほんの数十センチの高さのなんとものんびりしたコンサートだった。ステージの周りでは観客は皆ゴロゴロしていたり七輪で魚を焼き始めた人もいて、もうもうとした煙がステージに漂ってKちゃんが注意をしに行った。
なんだか村の学芸会の様だった。すっかりだらけきったまま陽が落ちて、フェスティバルは終りに近づいた。その時、会場がワサワサとし始めた。何人かの外国人がノシノシとステージに上がった。近くの斑尾の大きなジャズフェスティバル帰りの、トニー・ウィリアムスのバンドが飛び入りでやって来たのだ。(その時のサックスは、ブランフォード・マルサリスだったように思うけれど不明)2,3曲の演奏だったけれど、夢のような時間だった。

思えばあの頃はよくジャズを聴きにライブハウスへ行ったものだけれど、当時のライブハウスはもうあまり残っていない。私が今住んでいる街にもいくつかあったのだけど、再開発ですっかり様変わりしてしまった。
あの頃は、何も考えずにボーッと音楽を聴いていた。勿論今でも私はボーッとしているし、猫のように何も考えてない時も多いけれど、何かが違うのだった。