窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

茂田井武展

姉はオープニングに出ていたのだけれど、もう一度付き合ってもらってちひろ美術館茂田井武展を観に行った。
展示されていたものは子供の頃から見慣れた懐かしい絵や本も多かったけれど、観たことのない絵もたくさんあった。
私が生まれて初めて読んだグリム童話は、茂田井さんの挿絵の岩波少年文庫だったことは幸せな記憶だ。私はその絵が大好きで、何度も読んだ。確か、新書くらいの大きさで、少し厚くハードカバーだった。表紙はエンジかブルーの細かい花模様か唐草模様か。現在は大きい版で復刻されているようで、ミュージアムショップに並んでいた。(少年文庫ではドリトル先生やクオレも出ていたはずだ。)

茂田井さんが、今の世の中に広く知られるようになったのは、なんとここ数年らしいことを知り、姉も私も特異な環境にいたのだと改めて思った。しかしそれと引き換えに、私達はおそらく同世代の子供たちが読んでいた当時の絵本を知らないで育ったように思う。
それに気がついたのは、大人になってからだ。友人と、昔読んだ「こどものとも」の話になった時、全く話がかみ合わなかったのだ。

私にとっての「こどものとも」は茂田井さんの「セロ弾きのゴーシュ」であり堀内誠一のグリムだったのだけれど、私が当然のように「セロ弾きのゴーシュ」の話をしても、皆知らないと言う。逆に私が「ぐりとぐら」を知らないことはたいそう驚かれたものだった。
なんかおかしいな。とは思っていたけれど、数年前に姉から黄ばんでしまったり、綴じてあるホチキスが錆びかかっているような当時の「こどものとも」の何冊かを送ってもらった時に確かめてみたら、それらは皆私や姉が生まれる前に出たものばかりだった。そう言えば、なんだか家にあった本の半分くらいは、当時から黄ばんでいたような気もする。しかし、そういったことはもしかしたら絵本だけではないのかも知れない。

初山先生の個展の時にも思ったことだけれど、当時の所謂童画家の絵が、今と明らかに違うと思うのは、品の良さなのではないかと思う。そして子供たちへの優しい眼差しが、絵の隅々にまで溢れている。
今の絵本の多くは、まずは作家ありき。のように思える。それがいいのか悪いのか、私にはわからない。ただ、きっとそういう時代なのだろうと思うけれど。


茂田井武展11月30日まで