窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

本屋さん

昨日あげた本は図書館で借りたものや、古書。実のところ最近新刊の書店で本を買っていないのだった。

「町の本屋」の生き残りと大型書店増加傾向への疑問 - かたつむりは電子図書館の夢をみるか

専門化というのは、書店に取ってみればけっこう冒険だと思う。


私の住居の最寄り駅のビルの中の書店が最近リニューアルして、店舗スペースも少し拡大した。
それで入ってみたのだけれど、導線的に一番人が通るところには、雑誌の棚になっている。
これはまあ駅も近いしそうだろうと思うのだけれど、行けども行けども雑誌の棚。なんだか店の半分以上が雑誌のようだった。
まだ整理されていないからなのかもしれないけれど、奥の方にあった美術書と書かれた棚には、漫画の描き方みたいな本と手芸の本が2段くらいあって、あとはコミックが押し寄せている。文学は日本も海外も混ぜてひとつの棚。
しばらくしてからもう一度行ってみようかと思うけれど、なんだかなあ。という書店になってしまった。


先日、「新文化」に載った、研究社の編集者の金子さんがパウエルズ・ブックスのマイケル・パウエル氏に
インタビューした記事を、大変興味深く読んだ
元のインタビュー(英語)http://www.powells.com/info/japan_mp_interview.html
本に集中して本を大事にすることの必要性をパウエル氏は語っている。確かに。
最近の書店は皆本以外のものを置いている。そして騒々しい。いつからあんなに本屋はうるさくなったんだろうか。
古書店も。


先日飯田橋に打ち合わせで行ったら、書店があったビルがブックオフになっていて驚いた。
入ってみたら結構な人だったのだけれど、眼が慣れてくると半分くらいが店員じゃないかと思えて来た。黒いTシャツにエプロンで、そこここで客が通るたびに「いらっしゃいませーコンニチハーー」とやけくそのように声をあげている。
あるものは書棚に向かって、あるいは引き出しの本に向かって。
私が棚の前を通り過ぎると、たたずんでいる黒子たちが、「いらっしゃいませーコンニチハーー」「いらっしゃいませーコンニチハーー」それはこだまのように繰り返される。ファミレスの比ではない。

私はリフレインに弱い。何かに集中しようとするときに繰り返しの音や言葉が聞こえてくると、急に視野が狭まって、脂汗がにじんで寒気がしてくる。ブックオフは私にとっては拷問に近かった。
私は池袋近くで生まれ育ったので、西武百貨店の書店・・後のリブロには毎日のように行っていた。アールヴィヴァンも大好きで、高いから買えなかったけれど、いつも画集を立ち見していた。
慣れていたから何とも思わなかったけれど、当時のバイト仲間の岸君に「西武の本屋は腹が立つ」と言われて驚いたことがある。
彼曰く音楽がうるさい。本屋に音楽はいらない。と。
いつごろだったか、当時の西武の書店の美術系の本が置いてあるフロアは現代音楽のCDも置いているブース(アールヴィヴァンのなかだったか)が隣接していたので、そういった音楽がいつも流れていた。環境音楽と言われていたジャンルのような、時々ノイズ系だったり。
私は慣れていたけれど、岸君は許せなかったようだ。

ブックオフも、多分皆慣れているんだろうな。でも何故あんなに・・・・