窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

会食

昨日翻訳家のU氏と会食。私はすかさず原書読みのことを尋ねた。
「当然辞書は使います。いいんです。辞書を使って。別に英語を上達させたいというわけではないのだから。えー、辞書を使って読まないと違う解釈をしてしまっている場合があるわけだから、ちゃんと辞書を使うっ。」(「複数の英和辞典と英英辞典にあたること」と、U氏から訂正が入った)と力強い答えが帰ってきたのだけれど、私が「そりゃあ、英語も上達したい」と言うと「まずは、とりあえず辞書を使わずに読むんです。前後の関係から想像して最初は辞書を使わないで読んでみる。しかし、そのあとで必ず辞書で意味を確認すること。これがすごく大切。そしてその単語の意味がわからないと、ストーリーについていけないと思うようであれば、すぐにその場で辞書を引いて構わない。特にcomeとかgoとかtakeなどの基本動詞に前置詞がついた一見簡単そうな表現こそむずかしいから、しっかり辞書で意味を確認すること。これが大切です。」と。
ま、某英語試験高得点の完全に英語頭のU氏に訊いた私がいけなかった。私の小さな悩みを置いて既にU氏の話題は他に移っている。私に残された選択はただ一つ。目にもとまらぬ早さで電子辞書を引いて、電子辞書と私が一体化することだ。指を鍛えねば。指を。
ところでU氏は、私がこれまでの人生で出会った人の中で5本の指に入るくらいのユニークな人だ。他の4本は亡きKちゃんとそれから勿論アシカ君とM亮だ。ん。あと1本あるが、これはU氏の親友の1人かもしれない。ともかく共通点は落語界の住人というところ。彼らのことで新作1本書けちゃうくらいの面白さだ。

落語といえば、やはりブームらしい。だいぶ前の東京人の特集「落語が、来てる」と言うのは、本当だったようだ。最近寄席に行っていないので、実感としては今一つだけれども。

私が寄席に通っていたのは、志ん朝師匠が存命の頃だ。ガラガラの昼席でおじいさん達に混じってお弁当を食べたりして。今考えてみると、もしかしたら私はちょっと変な奴だったような気がしないでもない。
寄席通いをしなくなった今だけれど、落語がブームらしいと思うのは、円楽が笑点を降りることが結構なニュースになっていたり、書店の新刊の棚に、落語関連の本が並んでいるのに気付く時だ。書棚には、志ん朝師匠のお弟子さん達が書いた本もあるが泣けるので買わない。(ちょっと立ち読みしたけど)私にとっては志ん朝師匠の早逝は、アシカ君達のジョン・レノンの死に等しい。

よってたかって古今亭志ん朝

よってたかって古今亭志ん朝