窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

朝から暖かかったので、10数年前に住んでいた辺りまで足を伸ばした。これまで借りた仕事場や住いで唯一残っている所だ。他の場所は皆取り壊されてしまった。絵描きが借りて例え汚しても、家主が厭わない家はたいていは古くてボロいのだ。その部屋の周りは随分変わってしまったけれど、窓から見えた白梅の老木はそのままで、今が満開だった。去年は4月ごろにM亮の妻のMラにつきあってもらってこの辺りに来たのだ。その時は白梅は終わっていて、代わりにそこいら中が桜の花だらけだった。
家の近くの公園は、今年は誰もいない。人はいるけれど鴨がいないのだ。まだそんな時期ではないのだろうか。去年は今ごろカルガモのツガイが泳いでいたような気がするのだけれど。それで梅を見た後で大きいほうの公園に寄ってみた。この公園は昔は逓信住宅があった場所だったと思うけれど、都会の公園のように整備されている。奇麗な池に葦が植えられた箱が沈められていて、池の周囲はコンクリートの義岩で固められていたり、所々に草がそれらしく植えられていたりする清潔な感じだ。以前来たときもカルガモが泳いでいた。
 公園の中に入って、さっそく池をのぞいてみた。なんと、そこには20羽くらいのカルガモがすまして浮かんでいる。いや、鴨はたいていすましているものなのだけれど。
 池は遮るものが殆ど無いのでとても日当たりがいい。それに公園が広いから静かだ。もう陽は高く昇っているのに、葦の生えている箱で寝ている鴨もいる。別にいいんだけど。しかも、マガモカイツブリまでいる。なんてこった。そんなに都会がいいのかい。
そんな気分でその公園を出て、帰り道にいつもの公園の中を通った。ここは少し低くなっているせいか、ひんやりとしている。後ろにある山の影になっているので池も日影が多い。この冬は寒くて池が全部凍っている日が多かった。そうして凍った池の真ん中辺りに、ぺたぺた歩いたような鳥の足跡がついているときもあった。一度、氷が溶けていた日にツガイのカルガモを見かけたことがあったのだけれど、物件を下見に来ていたのかしら。
 「日当たりも悪いし、なんだか古ぼけた感じで、しかも電車の音がうるさいからねえ。」そういえば、あの2羽は泳ぎながらなにやら話しあっているように顔を見合わせていたっけ。京塚さんも池の周りを徘徊していたし、鴉もいたし。暖かくなると躾の悪いガキどもが、バタバタと池の周りに入り込んで、落ちつかないことだろう。
でも、水鳥が浮いてない池はつまんない。暖かくなったらウシガエルの大群と、どこかのアホが放した大きな白い鯉しかいないなんて。