窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

ようやく今日は秋の夜長・・といえるような気温。で、ついハリポタの続きに手が伸びる。読んでいると他のことがなにもできなくなる。以前、鬼平犯科帳にはまったときと同様に。
あの頃は、鬼平に留まらず、図書館にある時代小説を読みあさった。池波正太郎はもとより、藤沢周平、柴練と山本周五郎も少し。山田風太郎も少し。いち押しはやはり高橋克彦の「炎立つ」と池波正太郎真田太平記」だった。もうその頃は、時代小説じゃないと読めなくなってしまい、登場人物が「拙者は・・」なんて言葉を使っていないと物足りなくなったりして。好きな村上春樹の小説も読めない。「ボクは・・」なんて言うのは許せない。というかんじ。

近所の図書館は老人の憩いの場のせいか、エノケンシリーズや美空ひばりシリーズが揃っている。でも、それって偏見じゃないのかしら。と思う。実際、視聴のモニタの前でイヤホンをつけて見ているおじいちゃんは、洋画を見ている人も多いようだし。エノケンシリーズなんかは、借り手があまりいないように思う。

私が小学生か中学生に入ったころ、図書館で借りて読んだ本で印象深かったのは、別役実「淋しいおさかな」(三一書房)である。大人になってから買ってまた読んだ。私の本棚には別役実の童話集が何冊か並んでいるが、やはりこの「淋しいおさかな」が一番。既に絶版になっているこのシリーズだけれど、どこかで見かけたら騙されたとおもって読んでみて下さいな。私の脱力モードは、子供のころに読んだこの本が原因なのではないか・・と、思うこの頃。