窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

歴史には夢がある


駅への途中に森がある。一般の人は立ち入り禁止の、アシカ君が「精霊が住む」と言っていた森だ。森に沿った遊歩道が終る辺りの空き地に、この夏の始め頃から工事の車が入り始めた。建築計画の札が立てられたので、見ると6階建てのマンションが建つらしい。私は10数年都市計画事務所でアルバイトをしていたせいか、そういう立て札が立つと、関係がなくてもつい近寄って読んでしまう。(そういえば、そこで一緒にアルバイトをしていたハセミンは、家を借りるときに不動産屋で「RCですか?SRCですか?」などと専門用語で尋ねて驚かれたという話を聞いた。)
6階建てのマンションなら、最上階からは森の中が見えるのではなかろうか。なんとも羨ましいことだが、森に対しての日照権というものは、発生しないのだろうか。

まあ、そんなことを通るたびに思ったりしていたのだけれど、夏も終り11月も半ばになった今も、工事はあまり進んでいない。四角く深く彫られた穴の壁面全てが板で壁のように支えられて、その中にはいくつもの土で作られた台のようなものがある。その台には何かが乗っていて、周りで作業をする人達はのんびりとクワを動かしている。
建築計画の札の横に、土で汚れた立て看板が立っていた。
「遺跡発掘調査中」

また、遺跡が出たのだ。この辺りは寺跡や城跡とは少し距離があるのだけれど、多分市内は何処を掘っても遺跡が出てくるに違いない。私が住んでいる家も遺跡の上に建っているのかもしれない。

中学の頃に三谷という新任の女の歴史の先生が「歴史には夢があります。」と、話していた。区内でもワルでは一、二位を争う私の中学の男子達は、新米の女の先生をいかにして泣かすかを毎時間競っていて、殆ど授業にはならず、先生がそう言った瞬間に、クラス中は罵声をあびせて大騒ぎになった覚えがある。「歴史というのは過去のもの」「夢は未来のもの」と思っていた私は、その先生の言葉に驚き、今でも良く覚えているのだった。
「歴史には夢がある。」・・・確かに。
瞳が大きくてすぐに泣きべそをかきそうになり、バレーボールがあまり上手くなかった三谷先生はどうしていることだろう。