窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

モデルのバイト

 昨夜は、ずんさんが講師をやっている市民ホールの教室でモデルをやった。モデルなんて学生時代にやって以来だったので、最初は多少緊張しつつもずんさんの先生ぶりを観察していた。終わった後、まだ講評の時間がある彼と食事をする約束をして、私はロビーで待っていた。
 まだ新しそうな市民ホールは、時折夜警の人が規則正しい足取りで通り過ぎる以外何の音もしない。ロビーの中央にはひと抱えくらいのモミの木の鉢が、ポインセチアの小さなポットにぐるりと囲まれて置かれていた。クリスマスのデコレーションが施され、小さなライトが思いだしたように点滅をしている。その根元にはたくさんの綿が無造作に置かれているので、モミの木も偽物かと思って枝を観察してみたけれどどうやら本物のようだった。
 ロビーのあちこちに置かれている、ホールの催し物のチラシを見て回った。「山下洋輔プレゼンツなんとかかんとか・・」「桂歌丸の落語・・・」「市民映画祭・・」そんなものを一通り見た後で、一番灯りが近そうな赤いソファーに座って「ガラテイア2.2」(リチャード・パワーズ/若島正訳・みすず書房)の続きを読んで涙。パワーズの小説は専門用語だらけで、特に「ガラテイア2.2」には理数系が苦手な私には難解な言葉が溢れている。それにもかかわらず時折泣けてくるのは、美しい比喩のひとつひとつと、全体の深い所に漂っている私が子供の頃から親しんできたような感情のせいだ。


 授業が終わったずんさんと近くのファミレスで食事をした。彼が語る音楽の話を聞きながら、私がロックを聴かなくなったのはいつからだろうか。と考えた。学生時代の友人達は、皆ロック小僧(オヤジ)だというのに。私の中には音楽に関して完全な空白期間がある。それはテレビも見ず、新聞も読まなかった時期と重なるような気もする。
 ずんさん夫婦は猫が欲しいそうだ。もう、名前も決めてあるという。しかし実際に飼うとなるとなかなか決心がつかないらしい。そんな彼らの迷いを振り払う助けになるのならば、私はどこかで拾って彼らの家の玄関にリボンをつけて置いておこうと思う。