窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

やりたいこと

予備校時代、「美術とは何か。デザインとは何か。」みたいなことを、クラスメートと飲みながら(予備校生のくせに)ああだ、こうだと語っていたことがありました。その中でK君が「僕はピンクレディーような絵を描きたいの。」と言っていました。ずいぶん昔のことだから、正確な言葉ではないのですが、ようするに一般大衆に好まれる、家庭の中に1枚。みたいな感じのことだったように思います。(もしかしたら、全盛期のヒロ・ヤマガタみたいなものかもしれません。)そう、ピンクレディーは当時は誰でも知っていたのですね。クラスの中で男女を問わず、ミイチャンやケイちゃんになりきっていた人が、何人もいたのを覚えています。
当時の私の意見は「そんなものは芸術ではナーイ!」というかんじで、ドンドンドンと机を叩いていたように思います。まあ、若かったんですねえ。今はそんなこと別にどっちだっていいのです。ピンクレディーになりたい人(さすがに今はいないだろうけど)ジョン・レノンになりたい人、フランク・ザッパになりたい人等、世の中色々ですから。
近ごろ、年上の友人達と話をしていると、私は「やりたいか、やりたくないか。」だけでここまで過ごしてきたのだということに気づかされます。やりたいことをやるために必要なことであれば、それ以外のことも勿論やるわけで、そのために短期、長期の計画をたてたりもするし、仕事だってマジメにやってきました。そうして、例えば二つの選択肢、または分かれ道に立ったとき、私は立ち止まって熟考します。それで選んだ道なら悔いは残らない。しかし時間をかけて考えているのは、「やりたいか、やりたくないか」なのであり、それを選択したことで先行きどういうことになるか、なんて事は考えずに来たのですね。オソロシヤ。
何かあるたびに、うーん。あの選択肢はまちがっていたのかなあ。と、振り返り、いやあ、やっぱり間違っていなかった。と思ってきたのも当然のことです。振り返っているときも「今、もしあの分岐点に戻っても、やりたいと思うだろうから仕方ないわ。」と、思っていたのですから。他の選択基準があるなどとは、思ってもみませんでした。ああ、いったいなんということでしょう。「私はよーく考えてきたのだ。石橋を叩いて渡るAB型。熟考型なのだ。悔いはない。」と胸を張っていたのですが、考えていたのはそれだけ。(稼げる方向)(ゆくゆくは幸せになれる方向)等ということは考えず。よって、このような暮らしをしているのも、当然のことかもしれません。
件の友人等にそう言うと、呆れたのか、受話器の向こうでしばし沈黙をしていました。究極の我が侭女と心の中で思っていたのかもしれません。まあ、いいや。しっかりした友人達を持って、私は幸せです。