窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

経験

しばらく更新が滞っていたのは、個展の準備をしているからです。その他にも、友人の諸問題に半ば巻き込まれてグルグルしていたこともありますが、まあとにかく制作をしていました。それは、今も続いていますが、なんとなくまた書いています。急に「です、ます」調になったのは、別に意味はありません。気分ですので、気になさらないで下さい。
今回の個展に限らず、私は絵を描くときに、これまでの自分の作風(というものがあるとしたら)は、忘れて描き始めるのですが、それは別にわざとそうしているのではなく、描き方を忘れてしまうんです。技法とかそういうの。頭が悪いんじゃないかと、自分でも少し怖くなります。銅版画は、技法が沢山あります。経験を積んでいくと身に付いていくものです。勿論、最低限のことは、長く作っていれば身に付いています。が、まだまだ自由に操っているとはいえません。それどころか、失敗する量は版画を始めたころよりも多くなっているような気さえします。
絵を描いているとき。これは学校で習うような「技法」を使ってもいないので、自分の描き方ということになるわけですが、例えばこういう絵が描きたい。と、思って描き始めたときは、たいていそれまでの描き方とは全然違う描き方で描いていたりします。そうして、完成間近になってくると、「なんか違う。こんな絵が描きたかったんじゃない。」と、思って落ち込みます。で、壊したり、グチャグチャにしたりして、また描き続けているうちに、ようやく「これだぜ。」というものがでてきます。そうして、気に入ったものができたときに、なんと、以前描いた絵の作風に結局近いものになっていたりします。なんとも効率の悪いことです。
銅版画においても似たようなことが起こります。銅版はグチャグチャにして続けるというのは難しいので、けっこう最初は緊張して始めます。それがまた良くない。「緊張した線」と、「緊張感がある線」では、大きな違いがあります。もう本当に難しい。頭で描いているものが、魔法のようにポンと出来ちゃったら、凄い量の作品ができ上がるだろうに。と、失敗した版を磨いたりしているときに思ったりもします。
なんだか今回はそういうことが多いような気がします。個展は6月になりました。おってお知らせいたします。