窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

そう、先週は部屋を片づけようと思ったのだ。机の下に潜って、マックのアプリケーションのマニュアルを整理しただけで、疲れた。部屋が狭いわりに物が多いので、書籍は分散しておかれている。整理をすると、最後にもうあまり読まないだろうと思う本がはみ出す。それを、どこか開いている場所に無理やりいれて忘れてしまう。ある日、その無理やりいれたものをどうしても読みたくなったりする。しかし、どこのすき間に入れたのかわからない。読まないだろうと思って仕舞ってしまった押入れの中の段ボール箱を開けたり、棚の奥に潜り込まなければ、覗けないような場所に積み重なっている本をひっぱりだしたりして、もうなにがなんだかわからない。どうせ今年は越せないので、天井辺りに書棚を作ろうかとも思う。
今日、私がいきなり読みたくなった本は谷中安規の人生を描いた「かぼちゃと風船画伯」である。谷中安規のことが、春風社の編集長コラムに書かれていたので。「かぼちゃと風船画伯」に描かれている谷中安規はあまりに悲しい。私が彼の絵から受けていた印象とはだいぶ違っていて、それがけっこうショックで、1度きりしか読んでいない。もう一度読んでみたい。どこにあるかわからないと、よけいにその思いは募る。