窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

年末・・・というと、私の大学時代の友人達と、数年前まで『年末企画』というものを催していたことは、書いたことがあるかと思う。
十数人の同期生が集まっての忘年会だ。場所は殆ど誰かの家や工房。何人かが朝までかかっても終わらないほどの複雑な人生ゲームを作ってきて、何人かが数ヶ月前から練習を重ねてきたユニットの演奏をやったり(それがただ演奏するだけではなくて、ちゃんとポスターやテープやCDも作り販売もする)。あるときは、全員がひと月ずつあてられて、絵入りのカレンダーを作らされたり、予備校時代のように、皆が一枚ずつ絵を描いてきて講評会をする。という企画もあった。<bt>各々が何か一品持って参加というときには、私は私家版の版画本を作ったりした。
そのために、年末の地獄のような多忙な日々を、風邪ひいていようと徹夜が続こうと、皆その『年末企画』の一日だけのために準備をするのだ。
友人の中にはプロのミュージシャンもいるから、かなりなお宝になるようなものもあるのだろうけれど、それらは外に出されることもなく、ただただその日集まる同期生に、驚かれたり感心されたり、呆れられたりするためだけのものなのであった。当日はそれらの企画が中心で、次から次へと予定をこなさなくてはならず、お酒を飲んだりゆっくり話をしたりする暇など無い。クライマックスの人生ゲームをやるころには、皆へとへとで、ぐったりしたまま朝になり帰っていくのであった。
 「まったくアホみたい。」などと、女性陣はあきれ顔をしながらご飯の支度をしたり、時には巻き込まれたりして、その年を終えた。
そんなことが、卒業後二十年近く続いていたのだけれど、最近はそれぞれの予定が合わなくて、そうやって準備期間をもって何かをやるということはなくなっている。私や鳥飼にとっては平和な年末なのだけれど(鳥飼宅はスタジオがあるので、集まる頻度が多い)考えてみると、窯猫で私がやっていることは、結局同じようなものかもしれない。ライブラリに載せている『戌の刻』も宮原氏と競い合って文章を書き、私はむきになって木版画をこしらえたり、そうして、また近々サイトにアップすることになると思うが、あるコラボレーションで銅版画を作っている。これは、同期生とのものではないが、完成間近になるともう嬉しくて仕方がない。
 ・・・が、私の人生って「まったく、アホじゃないの。」と年末企画の時に呆れていたようなことを、自らずーっとやっていたってことなのかも・・・・。と、さっき気づいた。仕事せにゃ。