窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

今日は水彩画教室。午前中川崎まで行っているのである。低血圧だからと言って、朝が苦手というわけではない。絵描きにしては早寝早起きなのだ。が、6時起きはちょっと眠い。家から2時間くらいかかる。通い始めてもう3年目になる。
私が習っているのではなくて、教えにいっているのであります。いちおう。でも人に絵を教えるなんて苦手。だって、絵なんだから自由に描けばよいのだと私は思う。自由に一生懸命描けば、ちゃあんとそれぞれいい絵ができあがるのである。しかし、上手く描こうとする気持ちを捨てるのはなかなか難しいようだ。それは多分プロでも同じことだけれど。

水彩画なんて小学校以来などという人たちばかりだけれど、私はそれぞれの絵を後ろから見ながら、内心「おお。すごい。」と、思うことも多い。教室をひとまわりしてきて、(ああ、さっきまでの方が良かったな。)と思うこともあるけれど、また一回りしてみると思いもよらなかった素敵な方向に絵が変わっていて、またびっくりしたり。一人ひとりの個性が出ていて、まことに絵というのは面白いものだと思う。
にしても、とにかく私は教えるのは苦手なのだ。ソラマメをソラマメらしく描くための技術なんて言葉では説明できないのだ。
「んー。もっとマメッって感じをつかまないと。」なんて私が言っても、それは生徒さんも困るだろう。
『水彩画の描き方』等という技法書が図書館には棚1段を占めるほどある。そこにはあっさりとしたまことに奇麗な水彩画が載っている。技法も驚くほどに色々とある。「マメなんだから、マメなんだって思って描かないと。」と、言っている私としては誠に申し訳ないかぎりである。