窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

池袋の芸術劇場の中で編集者と待ちあわせた。芸術劇場のあるあたりは、元は何があったのだったかよく覚えていない。子供のころは東口駅前辺りは危ないといわれていた。まあ、その辺りに限ったことではないけれど。私は時折高校をさぼって、一人で喫茶店で厚切りトーストを食べながら特に美味しくもない珈琲を飲んでぼんやりしていて、やはり学校をさぼっていた中学時代の同級生に偶然会ったりしたものだった。

芸術劇場に行ったのは初めて。以前、小さんと花緑の落語を聞きに行こうかと足を向けたことがあったけれど、当日券がとれずにそれきりだった。地下通路からそのまま芸術劇場の中へ入ると、なんだか池袋ではないような空間だった。私たちが入ったカフェは、時間のせいか客が一人しかいない。ウエイトレスは「ハーイ、ドーゾドーゾ。」と威勢がよく、食堂のオバチャンのノリで池袋を感じた。
私たちが机の上に版画を広げていると、オバチャンは気を使って隣の机を寄せてくれようとする。だが、机の脚は御影石でできているので、ウンウンと机を動かすオバチャンの顔は真っ赤になった。「ごめんねえー。ズレチャッテ。」と、済まなそうに私たちに言う。少しすると一人いた客も帰ってしまい、オバチャン達は奥の席で煙草を吸いながら真剣な顔で話し込んでいた。