窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

淡路町画廊の今

5月の初旬に画廊にお世話になった作家さんたちとC子さん命名の黄昏会を終えてからも、また画廊を訪れた私。その後、話を聞いたら私の後にもC子さん夫妻も翌日にいらしたとのこと。勿論用事があってだけれど、なんとなく名残惜しさもあったと思う。そうして画廊は再開発組合に引き渡されて私たちとは関係の無い物になった。
今日今の画廊の状況を写真でアップしてくれた人がいることを、twitter経由で知った。蔦はもう無くて、なんだかモヒカン刈りみたいになってそして想像していたとおりほっそりとしてる。

淡路町画廊。今はこんな感じになってます…。

大学の時の友達も先日そばを通って、何だか凄いことになってる。とmixiに書いてた。想像していたけれど私はやっぱり動揺した。

あの2つの画廊が無くなることを「時代が変わるってことだ。」と訳知り顔に言う人がいた。だけど私はそんなふうに言われたくなかった。このことは私にとっては時代なんて関係なく、もっと個人的な事柄だった。勿論そんなふうに言った人は画廊とは全くなんの関係もない人だから仕方ないかもしれないけれど。時代が。というのならどちらかというと、今どきあの地域をバブル期みたいな再開発をすることの「時代」遅れ感は感じるけれど。
時代に個人は飲み込まれていくのか。武智半平太のように。(いやあ、顔が麿赤兒に似てきましたな。)