窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

小夏

今日は外の猫達は午前中からどこかにお呼ばれなのか、姿が見えなかった。気温も高くて天気も良かったので、私は窓を開けて網戸にしていた。
ふと見ると・・・
なんと、小夏が縁側に座っていた。外の子達の親猫である。育児を放棄して私に子猫をおしつけ(というか・・・)いずこかへ去っていった小夏が、一度は近所で見かけたことはあったのだけれど、初めて縁側に現われた。しかも、お腹が大きい!!
「二二二」と、調子よく鳴く小夏に、「なぁんで今ごろ帰ってきたんじゃ。子供らを捨てて、しかもまたお腹が大きゅうなって、この親不孝めがっ!」(だれが親なんだか)
なーんて、昭和の初期の日本映画の一場面のような台詞が頭によぎったのだが、窓を開けて棒切れで頭を触ると以前のように彼女は嬉しそうに頭をすり寄せてくる。毛づやも良く相変わらずきれいな小夏は、どこかで面倒を見てもらっているのに違いない。
私が外へ出て草むしりをしていても、小夏は縁側で、大きなお腹で大儀そうに横になっていたり、私の近くに寄ってきたりする。
そこで、私はおもむろに近くにあったミニクマデを振り上げて、小夏の背中を掻いてやると、大変嬉しそうな顔をしている。
い。いかん・・。
私はクマデをほおりだし、「他所へ行って産んどくれ。」と念じながら、草むしりに精を出した。小夏は縁側を降りて、日陰にペタリと横になって目を細めていた。

そこへ、「んぎぃー。んぎぃー」と粘っこい声で鳴きながら、ぎいやんが帰ってきた。その後ろから「ふぁん、ふぁん」とファルセットで太郎も続いている。ぎいやんも、太郎も少しでも早く撫でてもらおうと、私の手をめがけて走ってくる。彼らは小夏に気付かない。しかし、小夏は一転険しい顔になり、立ち上がり、鼻をぴくつかせている。そうして踵を返してそそくさと立ち去っていった。路地を覗くと、ちょうど小夏は通りに出ていくところだった。振り向きもせずに。
捨てた自分の子供だとわかったか、それとも先客に変な猫がいる。と、思ったのかはさだかではないが、もう現われることはないだろう。(希望的憶測)