窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

京塚さん

秋の初めの頃、通り沿いのアパートのエアコンの室外機の上で、京塚さんが日なたぼっこをしていた。アパートは京塚さんの飼い主の小雁さんの家の隣にあり、この界隈には場違いの小雁さんの家と同じアーリーアメリカン調の外観からすると、小雁さんの持ち物と思われる。アパートと小雁さんの家との間の路地の奥にある空き地から煙が上がっている。小雁さんがたき火をしているのだ。
その日の京塚さんは、私が立ち止まってじっと見ても、機嫌が良さそうに目を細めているだけで逃げようとしない。そこで私はそろそろと京塚さんに近づいた。京塚さんは室外機の上で、甲高い声でナアーナアーと鳴きながら、くねくねと足踏みをし始めた。私はそっと京塚さんの頭を撫でた。京塚さんはなおもナアーナァーと鳴き続ける。あんまり鳴くので、なんだか悪いことをしているような気がして私は撫でるのを止め、「じゃあね。」と言って歩き始めた。少し行って振り返ると路地の奥から急いで出てきた小雁さんが、京塚さんに「どうしたんだ?」と、話しかけているのが見えたので、私は知らん顔をして道を曲がって公園の中に入った。おそらく京塚さんは「あの人が私の頭を撫でたのです。」と、小雁さんに言いつけていたに違いないのだが、小雁さんは、猫の言葉はわからないらしく「どうしたんだ?え?」としか京塚さんに言っていなかったので安心した。

その後、京塚さんとは何度か会ったけれど、私の顔を見ても物体を見るようになんの関心も示さない。勿論くねくねもしないで、ツンとした顔で道路に座っている。京塚さんがいるところには、必ず小雁さんがいるので、私もうかつに近寄ることができない。話しかけていると必ず小雁さんが出てくるのだ。いつだったか公園の植え込みにいる京塚さんを見た私が「京塚さんっ!」と声をかけて顔を上げたら、小雁さんがいたのだ。勿論私は素知らぬ顔でトットと退散した。小雁さんという人は、これまでの私の観察では、自分の猫を「○○さん」なんて勝手に呼ばれるのは嫌がるタイプだ。いつか京塚さんの本名をきいてみようと思う。「タマ」とかだったらつまんない。