窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

記憶の中

少し前にDBが高尾の造形大跡地に行って写真を撮ってきたものを同級生がネット上で見ている。
もうずいぶん前に大学は移転し、跡地は\\\\ただの山と化している。そしてその辺りをネットで検索するとどうやら今や心霊スポットになっているらしい。

学生時代、CS祭は夜通しやっていたから、夜に山の中をうろうろせざるをえなかったり、卒業制作中は夜遅くまでアトリエにいたりしたけれど、別にそういった意味で恐ろしい目にあうことは無かった。私たちにとっての恐ろしいものは、幽霊よりも寒さやマムシスズメバチだった。

朝、水道の水が凍って、コンクリートのシンクには逆ツララがたっていたり、ストーブの周りで話していても息が白かったアトリエ。CS祭では凍死者がでないように交代でパトロールをしたり、山の中で制作していた友達が蜂に刺されたり、体育のときに足を踏み込んだら、大きなバッタの大群が飛び立ったり。

そんな場面場面は覚えていても、学校の建物や敷地がいったいどんな風だったのか、なんとなくあいまいだ。それで私は記憶スケッチを描こうとしたのだが、試みているうちになんだかグッタリとしてしまった。


目を閉じて座る。
私はベンチに座っている。これはバス停のベンチだ。
風が吹いている。夏休みの特別講義に来ている。竹林が風でサワサワとなる。
ヒグラシが鳴いている。たくさん。他に音はしない。バスがくる時間まではまだしばらくある。

目を開けてまだ足元を見ている私。バス停の前の道路。コンクリートだ。
少し前を見ると低い石垣に学校の名前が掘り込まれたコンクリートのプレートが埋まっている。その向こうは杉のような樹。DBたちと雪合戦をしたときに隠れた樹だ。その向こうに4号館の窓が見える。学生ホールに人がいる。
右の坂は1号館の裏の道に続く。1号館の下には川が流れている。もっと上っていくと、アトリエへ続く入り口が左手に見える。正面はグラウンドに続く山道。

左の坂は4号館の裏口。階段を上って出てきたところ。道を挟んでテキスタイルの工房がある。その向こうに竹林。登っていくと右手に民家。学校の敷地を挟んで確か民家があった。
そして彫刻棟。その向こうに絵画のアトリエ。ブロックを積んだ簡素な建物だった。

そんな風に私はまるで自己催眠をかけて浮遊する目のように、ディテールを拾いながら記憶の中を漂っていた。だがそうしていると時折違う所に行ってしまう。本当は無かった場所や時間に。もしかしたら昔見た夢の中に。

しかしこれはけっこう消耗した。しばらくやめておこう。