智慧の果実
数年前からMacBookを使う事が多くて、普段はデスクトップはつけていない。モニタの調子が悪いせいもあるし、デスクトップでなくてはできないということ(仕事)もあまりないし。トホホイ。
デスクトップで使っていた外付けHDの中身はMacBookにすっぽり入るくらいで、その中を検索していると昔々の窯猫覚書があったりして読むとおかしい。書いた本人が読んでみておかしいんだから、当時見知らぬ人から「変な文章ですね。」とメールが送られてきていたのも今ならうなずける。
10年少し前から覚書は始まっていた。ルポで作ってFAX送信で始まった窯猫通信自体はもっと前からだったけれど。なんであの頃はそんなことばかりやっていたのか。
機械にのめり込まなくていられなかった、そんな時代だったのだ自分的には。ズブロッカばかり飲んで。ズブロッカが高騰してしまった以外はそれからあまり変わっていないような気がしていたけれど、けっこう自分の中の色々は変わっていたのだと知るこの頃・・だけどいつでもなんだか戻ってしまいそうな、どんなに頑張っても知らないうちに双六のふりだしに戻っているような気もするこの頃。
違うのは残された時間がその分だけ(10年とか)短くなっているということだ。それは絶望なのか救いなのか。
カミュのペストを読んだ。子供の頃(というか)読んだように思うけど、あまり覚えていなかった。いくら繰り返されたって死に慣れることができない。人は死んだらどこにおんねん。
ペスト (新潮文庫)