窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

ずっとこんなふうに日記めいたことを書いている。時々嘘も混じっている。

サイトを訪れる人から時々メールを頂く。サイトのの感想や作品を買ってくださる人、その他色々と質問など。メールを頂くと、見てくれている人がいるのだ。とわかるので嬉しい。最初の頃に「変な文章ですね。」とメールをくれた人は、まだ読んでくれているのだろうか。

そんなふうにネットを通して知りあった方の中に高橋由紀子さんがいる。彼女はずっと木の写真を撮っている。この4月から1年間の予定で、世田谷のREZZOで展覧会をやっている。 私はまだ伺っていないのだけれど、きっと素敵な空間だろうと楽しみにしている。高橋さんの写真は、普通の木の写真と少し違うのだけれど、ああ、そうだ。木そのものだ。と、写真を見ていると思う。→高橋さんのサイト 
高橋さんの日々の過ごし方は、なんと素敵なことだろうと、サイトを時々訪れてみて思う。

田村隆一の詩集『水半球』の中の「木」という詩の1節に

見る人が見たら木は囁いているのだ 
ゆったりと静かな声で 
木は歩いているのだ 空にむかって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ

(以下略)

高橋さんの写す木々はこの詩のようだ。

煮詰まると、喫茶店に行ったりする。非日常空間だからなのか、頭が少し冴えるような気がする
向かいの壁際に 買い物帰りの男女が座っている。女の方は買ってきた雑誌を読んでいる。男はほおづえをついて、カウンターの中で動き回る女の子達を上目遣いで追っている。

エンザンスカイ/カシオペアという札がついたつるりと白い大きな鉢がテーブルにのっている。葉は青々としているが、花がついていたらしい茎は枯れて捩れたまま残っている。蘭の一種らしいが、花を見たことがない。

壁際の男はほおづえをついて、新しく入ってきた女の客を見ている。女は雑誌に顔を近づけて笑っていた。
ずっと。

新聞屋さんが契約更新に来た。3ヶ月お願いします。と言う。
「なんだかこの間更新したばかりだけど。」と言うと、「営業の人が入ってきてしまうから。」と、ふしめがちに言うので、「ねえ。いいけど、ホントにアサヒ新聞?」と、尋ねた。

「そうですよ。これ、一応証明書と、それにボク配達してるんですけど。この間展覧会の切符持ってきたじゃないですか。」と哀しそうに言うので、よく見るといつものお兄さんだった。
「これはまことに申し訳ない。」と、私があやまると、彼はすかさず「いいんです。いいんですけど、6ヶ月契約だめですか?」と言う。申し訳ない気持ちでいたところだったし、別に他の新聞をとるつもりもなかったからサインをした。

お兄さんがハンコを押している間、私が小学生新聞のチラシを見ていると、「とりますか?小学生新聞。」と尋ねるので、私が「いいの、うちの子新聞読めないの。猫だから。」と言うと、脱力した顔で洗剤を手渡して帰っていった。