窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

青梅市立美術館/コレクション×「フォ

今日は東京地方は晴れだったけれど、先週の雪がまだ近所の通りには残っていた。裏の公園の池も朝方は3分の2くらいが凍っていて、鴨達は溶けている残りの部分に膨らんで浮んでいた。
先週の雪の日に行われた対談には行かれなかったのだけれど、今日青梅市立美術館に母袋俊也展を観に行った。
青梅市立美術館/コレクション×「フォーマートの画家」母袋俊也
展覧会は27日(日)まで。


以前FBにあった福島の展示での《絵画のための垂直箱窓》から望んだミソハギの画像が強く印象に残っていたのは、私の家の裏の公園の湿地にも丁度同じようにミソハギが群生していたからだった。

見慣れたその場所が、風景としてはよく似ているのに、母袋さんの垂直箱窓が切り取って得られた画像が新鮮だった。私にとっては日常の風景だったものが、非日常の風景に変わっていたのだ。

そのときの感覚は、切り取られ凝縮されたような風景の中に、それを見ることで自分がその奥に入っていく・・と言うよりも、風景側からこちらに入り込んでくるようなイメージだった。そんなことを中央線の中で思いながら9月にアートラボはしもとの展覧会へ行った時も、そして今回も、まさに見ることと見られることについて書かれた母袋さんのテキストを読み、自分の感覚を再確認した。

今回も青梅の美術館内に《絵画のための見晴らし小屋》や《膜窓》の窓のあちこちに設置されていた。最近観たそれらと比べると、青梅のこの風景はとても効果的に思える。そして何よりも美しい。美術館の大窓に広がる青梅の風景が、《絵画のための見晴らし小屋》や《膜窓》から望むと、絵画に変わるまさにその瞬間を味わえる。その時「絵画」とは何か。という問いが頭の中ではっきりと形を見せたような気がした。


下は青梅の道路にいた懐っこいクロネコ