窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

記憶が曖昧だと思うことが増えてきたような気もするが、皆さんはいかがでしょうか。
昔、ドボチョンの記憶力ははニワトリ並だ(3歩進んだら忘れる)等と、友人達が言っていたものだけれど、そう言っていた彼らも多分軒並みニワトリ化しているに違いない。

しかし、記憶は失われているのではなくてしまわれているのだろう。それは本の頁を繰っているときのように、ふとした時にパラパラと立ち現れてくる。ふとした時、ふとしたことから。音楽だったり、匂いだったり、写真だったり、言葉だったり。それらはまさしくキーワードとなってミルフィーユのような記憶の層から何かを引き出してくるのだ。
とはいえ、その記憶もたいていはきちんとした層をなしているのではなくて、あちこちが崩れたり傾いたりしている。Nortonをかける前のMacのハードディスクのように断片化しているので、頭にNortonをかけて整理したい気分だ。

今思ったけれど、自分史を書きたい人って、フラグメントを解消したいからなのかもしれない。ふむ。
まあ、私はとりあえず部屋の片づけをしよう。