窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

私のアイドル

「私のアイドル」と書くとチューリップの曲が頭に流れてくるけれど、私のアイドルはそれではない。
私が一番最初に好きになったミュージシャンは、フォーク・クルセダーズであった。中でも北山修
小学校の時に、同級生のカネコルミちゃんの家に行って、お兄さんが持っていたフォークルのアルバムを聴いた瞬間、私ははまってしまったのでした。
多分3年生くらい。周りにはそんなの好きな人は誰もいず。活動(?)は地味でした。
お小遣いを貯めて、モンキーズのEP盤かフォークルのLPにするか、目白堂のお兄さんに横目で睨まれながらも迷いまくった日々。
譜面集を買っては、わけもわからず歌う毎日。

北山修が本を出すたびに、何だか難しいことも書いてあったけれど一生懸命読んだりという孤独な毎日。しかし、そんな私にも一筋の光が。


5年生か6年生になった時、同級生の田宮君がお姉さんが持っていたLP「北山修のばあすでいこんさあと」を貸してくれたのです。
もしかしたら、良き理解者が?と、思ったけれど、当時の田宮君はアニメのルパン3世になり切っていて全然話が合いませんでした。ま、小学生だもんね。
しかし、それまで譜面でしか知らなかった「海はきらいさ」を北山修が歌っていて、それが音程が外れていたのだけれどもワクワクしながら聴いたものでしたよ。

時は流れ、フォークルやシューベルツのLPは引っ越しの前後に処分してしまったりしていた私でしたが、昨年末にNHKFMから北山修の声を久しぶりに聴いて、感涙。
その時ゲストに出てきたのは田中優子先生。彼女も子供の頃から北山修が大好きで、修学旅行の時には北山修の実家の北山医院の前で写真を撮ったとか。
なんだとっ!私だって中学の修学旅行の時には、北山医院の住所を鞄に忍ばせていたのだ。
しかし、その時北山修はたしかロンドンに留学中。そして自由時間もない中学生だった私は、北山医院には行かれなかった。うう、うらやましいなあ。別にいいけど。


今年に入って、3ヶ月限定で数年ぶりに新聞をとってみたら、しばらくの間ラジオについての特集を組んでいてその中に北山修の記事がありました。
4月からNHKFMきたやまおさむの番組をやるという記事。新聞を久しぶりに購読して、心底良かったと思った瞬間でした。
もちろん、聴いてますよ。前回の特集はビーチ・ボーイズでした。もう、ずっととは言いませんが、番組はせめて1年は続けて欲しいなあ。