窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

久しぶりに紙漉をしたのが、夏前だった。まだ梅雨が開けていなくてなかなか乾かなかった。真夏のドピーカの時にやれば数時間で乾くのに。と、思いつつ、どうしたってやらなくては。と、その時は思ってせっせと漉いていたのだった。
殆どが、銅版画用紙の再利用もの。以前のように桑系の木やユーカリから採取できるほどに、木が育っていないのだ。
そう考えるとあの清瀬の家は、よかった。隣にあの変なじいさんが越してこなければ・・・。

もう今日も涼しい。久しぶりに晴れてきたけれど日差しも弱い。それなのにまた紙漉をしようかなあ。と、ふと思った。この日差しではまた乾かない。だったらどうして真夏にやらなかったのか。と悔やまれる。真夏はぐったりで私は仮死状態なのだ。
軒下に植わっていた木(モチノキ系か?)、東側を強剪定した。真夏は陽を遮ってくれていいのだけれど、そろそろ寒くなるので。
剪定したら軒下が急に明るくなった。これで隣に植えた月桂樹が伸びてくれるといいのだが。そう思う時、月桂樹をひいきしているようで、いつも少し後ろめたい気分になる。

終えて家にいたら、お隣の家でも旦那さんが草むしりを始めていた。少しして覗いてみると、塀やコンクリートの三和土等、家をぐるりと大小の水の入ったペットボトルで囲んでいる。
お隣の若夫婦は動物嫌いなのだ。表の玄関周り、塀の前にも大小のペットボトルを置いている。家の作りは、今風の奇麗な家なので、ペットボトルは見映え的にぶち壊し。って感じがしないでもないが、嫌いな人にとっては、そんなことよりも猫を近寄らせない。という一点が大事なのだ。しかし、東西に猫が好み猫を好む家に挟まれ、向かいの家では外犬が吠える声が聞こえるので難儀なことだと思う。

ペットボトルに水を入れて置くと、猫が近寄らないというような迷信のようなものは、いつ広まったのだろうか。アーニャの子供たちは、お隣の家の室外機の下や三和土周りで育ったので、ペットボトル等全く気にもとめていない様子だ。どこかの大きな猫もその上を歩いて行った。


西側の木も同じモチの木系だ。こっちは西隣のアパートの敷地内にあって、去年までは都心に住むアパートの大家さんが切りにきていた。
しかし、今年は来なかったので大変なことになっている。伸びるのが早いのだ。もう5メートルくらいになって、私の家の2階の窓も半分くらいかかっている。しかし、おかげで今年の夏は西日が遮られて多少楽だったような気もする。
でも、このまま伸びて行ったら軒も樋も壊しそうな勢いだ。