窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

原宿

全然行ってない。原宿。同潤会アパートの建て替え(というか)が完成してから。

幼稚園の頃。名栗川で私は溺れかけた。姉と母と、それから姉の友達とで姉の通う小学校の地区の遠足に名栗川に来ていたのだ。写真を撮ろうといって、私たち子供は川に並んだ。そうしてはまった。私だけ。
水の中から水面を見ていた。幼稚園の夏の麦わら帽子が浮いていた。ブクブクと泡を吹きながら水面に向かって立ち泳ぎをしていたら、ギューッと誰かの手で引き上げられた。

しばらくは水が怖かったのだけれど、泳げるようにならなくてはいけないということで、しょっちゅう原宿の国立競技場や千駄ヶ谷の子供プールに連れて行かれ、小学校中学年までにはカッパのごとく泳げるようになった。
私自身は、泳げるようになる、ならないというよりも、今で言う原宿の竹下口の向かいの半地下の喫茶店のアイスクリームに釣られて通ったのだった。
当時は同潤会もなにも知らなかった。私は道路を挟んだ’アクセサリー屋で売っていた青い鹿のピンパッチを買ってもらってご満悦だった。私にとっての原宿はなだらかな表参道の並木道。それは炎天下とアイスクリームと水泳帽の記憶に結びついていた。

原宿に限らず街が自分の記憶とは変わっていくなんて、子供の頃は思ってもいなかった。