窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

10数年前、新宿の事務所でアルバイトをしていた頃、事務所から家までには書店がたくさんあって、行きも帰りもふらふらと吸い込まれるように書店に入り、楽しみにして買った本を帰りの電車の中で殆ど読んでしまって、ぼう然としながら家に着いたりしたことも度々あった。
当時は事務所に本の御用聞きのおじさんがきていた。おじさんの本業はほるぷで出している豪華なセット本の営業で、アルバイトの私たちが並んでいる席にやってきて、なんだか知らないけれど最初の頃から「○○ちゃあん」などと妙に親しげに声をかけてカタログを配った。他の本の注文も受けてくれて支払いは給料日払いでよいというので、私たちは本を買いまくっていた。私と当時20代だったナグちゃんの二人は雑誌も購読していて、それが出たばかりの「サライ」だったし、ナグちゃんは他にはバロウズを、私は福武から復刊され始めた百けんシリーズを、ハセミンは江戸川乱歩をそれらが新しく出るたびに注文していたので、、おじさんは、他の会社のОLさん達と私たちの本の趣向があまりに違うことに戸惑っている様子だった。私たちはといえば、そんなおじさんをよそに「何を買ったの?それ面白い?」などと言い合い、貸し借りをしたり「やっぱり私も買おう。」と、次に頼んだりしていたので、「こっちも買ってよぉー」と、時々言うものの、おじさんがセット本を私たちに勧めることも次第になくなった。
その頃、おじさんを帰りの電車で姿を一度見かけたことがあったのだけれど、ぼんやりと宙を見たままくたびれた様子で席に座っていたので、事務所に来るときのあの妙な明るさは、営業のためと知ったのだった。そうして、バブルが弾けたころだったか、おじさんは内勤になったのか姿を見かけなくなり、そのうちバイトの私たちも少しずつ事務所を辞めたのだった。

最近はネットで本を買うことが多いけれど、それでも本屋さんで欲しい本をまとめて買う快感を味わいたい。バンバンバンとレジに積んで会計をしてもらっていると宝の山を見ているかのごとく。しかし、持ち帰るときに重く、財布は軽く。