窯猫通信覚書

絵描き・銅版画で本の挿画等描いている市川曜子の銅版画日記です。

宮沢賢治のリアル

午前3時。なるべく、早寝早起きを心がけている私なのだけれど、今朝は6時頃から隣家に越してきたおじさんの金づちをガンガン叩く音で目が覚めて、寝不足になり、昼寝をしてしまったのだ。夕べも1時すぎまで、金づちの音がしていた。「○○に恵まれなかったら、スタッフサービス・・・」というCMを思い浮かべる。隣家に恵まれなくて、電話をするところはどこだろう。私が引っ越すほか無いのだろうから、不動産屋ということかもしれない。が、今夜は静かなようすである。
急に冷え込んだ。桜は開花したのだろうか。近所は1本も桜の木がないのでわからないけれど、畑の脇に植えられている山吹は既に咲いているから、桜もポツポツ開花しているだろう。寒いのでストーブをつけている。部屋の真ん中で猫が大きくなって寝ていて、何度も尻尾を踏んで怒られた。こんな時間になるまで起きているのは目が冴えたからではなくて、個展のために制作をしているのである。個展は5月半ばすぎ。かなりまずい状況である。
そういう状況だからこそ、読書をしてしまう。昔、卒業制作が佳境に入ったときに編み物を始めた同級生がいたのだけれど、まことに。
昨日読んだのは、春風社の新刊で『異次元夢旅行ー宮沢賢治のリアルをはしる』リアル。ホントに。
宮沢賢治を読んでいた。ずいぶん前に・・・。生誕100年だったかの大ブームの頃から読まなくなってしまった。当時は何処へ行っても、賢治賢治で。ちょうどその頃、私の挿画本「猫町」が出たのだったと思う。出版社からは、ブームに当て込んで宮沢賢治モノではどうか?と打診されたのだけれど、ひねくれ者の私は、「猫町」を選んだのだった。
とにかく、当時は宮沢賢治ブームだった。作品はもとより色々な人たちが論じる賢治論も溢れていた。私は作家論というものは、あまり読まないのだけれど、あれほど多くの文章があると、何となく眼に入る。そうして、どれもがピンと来なかった。それぞれがそれぞれの立場で論じているわけだけれどそういうものを読めば読むほど、宮沢賢治がよそよそしくなり、遠くへ行ってしまったのだった。(別に宮沢賢治に石を投げようとは思わなかったけれど。)
で、『異次元夢旅行ー宮沢賢治のリアルをはしる』を読んでみたら、これまで描かれていなかった視点でリアルだなあ。と思いながら読んでいるうちに、宮沢賢治が同じ地上に立っている人になった。隣を見たら座っていた。というかんじ。やあ、よかったよかった。これでまた賢治の作品をちゃんと読めそう。
異次元夢旅行―宮沢賢治のリアルをはしる